私(五九郎)のプロフィール

By 五九郎

模型、海洋少年団、アマチュア無線クラブ、馬術部等、私のプロフ
ィールです。 男ばかりの兄弟の末っ子です。


☆小学校時代(小雨)
 小学校高学年では模型飛行機、模型の船を作っていました。

・模型飛行機はゴム動力のもので滞空時間を競うのです。大会の組織が
 しっかりしていて、地域大会、市大会、県大会、全国大会とありまし
 た。県大会の出場は小学校を公休で休めました。小学生はA級で飛行
 機の全長が50Cm迄でした。

  

・模型の船は10Mのタイムで競うのでした。搭載電池の本数でクラス
 分けされていました。船は非常に軽いバルサ材で自作です。スクリュ
 ウも銅板や安全カミソリの刃で作っていました。ゴム動力の部もあり
 ました。     


☆中学校時代(梅雨) ・中学時代には海洋少年団(クラブ)に入っていました。  今でも手旗信号(赤い旗を右手、白い旗を左手)は覚えています。夏  にはカッター(大きな船に積んである非常用の櫓の長いボート)を漕  いだり、ロープの結び方、溺れた人の助け方、人工呼吸(今はマウス  ツウマウスですが当時は違いました。)等を呉の海上保安大学で合宿  訓練していました。    ・又、家の中に真空管、ゲルマニュウム、トランジスタ等のラジオの部  品がありました(親父の趣味)ので、ラジオやワイヤレス無線を作っ  たりして遊んでいました。   卒業の春休みにアマチュア無線従事者電話級の免許をとりました。  この頃の試験は筆記試験でした。(ちなみに私の息子は中学2年に取  りましたので私の記録を破りました。)
高校時代(雲間から晴れ) ・高校受験に行った時にアンテナが見えましたので、受かったら入ろう  と決めていました。   すぐにアマチュア無線クラブに入部し、開局もしました。  JARLの書類審査ではなく、電監の直接の落成検査を受けJA4C  CCという凄い呼び出し付号を頂きました。 ・私の高校の卒業生に吉田拓郎がいます。   野球部もなく、良い高校でした。 ・[アマチュア無線のページ]へ
☆大学時代(快晴) ・大学時代は馬術部で馬に乗っていました。もち馬はカナガシラで  NHKの朝のテレビドラマのお花はんにもでた事がある馬です。毛で  4白(4脚とも白色の毛)で大きくはないのですが格好良い馬でした。 ・部員が少なくて、以下でした。   4回生 男2名   3回生 男3名  2回生 男1人、女3名   私と同じ新入部員  男5名、女1名 ・部費は4畳半の下宿代が3000円の時に月1000円でした。この  費のほとんどは馬の飼料代です。 ・九州には南日本大会、西日本大会、大学親善試合とかでよくいきまし  た。時には馬もつれていきました。家畜を運搬する船で船倉にカナガ  シラ、カツアラシをのせて、我々は甲板のうえで寝ていました。 ・長崎の諫早大会は暑かったね。鹿大、宮大、熊大にいきました。宮大  では、交流会の時にでましたね、やかんと湯飲みが、そう焼酎です。 ・そういえば岩手国体に監督代理、福井国体に選手として行った事があ  りました。当時、馬術人口は僅かでしたから、比較的簡単に出場出来  ました。 ・岩手にはカナガシラと同じ貨車(ワム型)にのって3泊3日で行きま  した。貨車はどこで止まるか判りません。一度停車するとバケツを持  って水汲みに走りました。馬は立って寝ます、人は積んであるワラの  上で寝ます。 ・食事は駅の共済組合売店でパンを買って食べていました。停車時間が  長い時は近くの食堂で食べます。 ・貨車は動物を載せていますので、扉を1M程度、常に開けてあります。  其処からの眺めは特別なものです。 ・何故か新宿経由でいきました。当時は新宿には貨物の大きなセンタが  あったのです。 ・[乗馬のページ]へ
☆44歳から(’92年から) ・子育ても一段落し、少しは余裕がでて来ました。アマチュア無線を  再開しました。 ・[アマチュア無線のページ]へ ・マウンテイングバイクブームに乗って、運動としてサイクリング  を始めました。近くに60Kmのサイクリングロードがあり、環境  にも恵まれています。 ・’92年に永平寺で3泊4日程座禅をしてきました。 ・蓄音機や真空管ラヂオに興味を持ち、集め始めました。  今ある古いものは凄いと思います。色々な事があったろうにじっと耐  えて、文化、機能を保持し、自己主張し、存在感があります。 ・真空管のあのフィラメントの赤い灯は、いいですね。あそこから、電  子が飛び出してプレートに到着します。途中、グリッドで速度を制御  されて電流増幅されます。ふーーん、ふーーん。音が通っているので  す、真空管の中を。それに引き換えトランジスタは見えないし、すぐ  壊れます。 ・レコードやラジオの製作や初歩のラジオ、又少年サンデー等の古い雑  誌なども興味を持っています。 ・[ラジオ博物館(ミュージアム)のページ]へ
☆47歳から(’95年12月から) ・WIN95の騒ぎからパソコンを自宅での趣味として意識し始め  ました。 ・「インターネットにつながったマルチメデイアパソコンは社会  を変える、傍観者ではなく自分の感性でチャント見ておかなくては」  と、楽しみです(ホントはこんな悠長な場合ではないのですが)。 ・[パソコンのページ]へ
☆50歳から(’98年 8月から) ・HOME−LAN(ホームネットワーク)に凝ってます。 ・ドメインネームを取得し、PC−UNIXでインターネットサーバー  を立ちあげました。 ・[HOME−LAN(ホームネットワーク)のページ]へ
☆55歳から(’03年 4月から) ・55歳で夢を追い、仕上げとしてのベンチャーを立ち上げました。 ・知識処理技術とヒューマンメディア処理技術で  大学、国家研究機関、企業研究所、ベンチャーと  国家PJ応募や、共同研究、受託開発、技術人材派遣で協創し  来るべき、“人”を中心とした社会の構築に貢献 ・”人のような機械を創る” ・[株式会社とめ研究所のページ]へ
☆65歳から(’18年 1月から) ・アマチュア無線を本格的に再開し、第一級アマチュア無線技士も取得しました。 ・お空では団塊世代を中心に同じような方(再開局)が一杯です。 ・アマチュア無線は体力も不要で巣ごもり系でもあり、コロナ禍の趣味としても復活しています。  タワーアンテナの保守には体力が必要です。しかし、この歳では危険です。 ・コールサインは閉局のコールサインの再割り当てもはじまっています。 ・再開局は空いていれば同じものがもらえます。 ・[アマチュア無線のページ]へ
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